日に日に大きくなる後悔
彼女がいない生活が当たり前になる
病的な感情も汚い感情もそのまま書きます。
るりが天使になってから1週間が経ちました。
否が応でもるりの体はなくなって、ちっぽけな壺になり、るりにあげるごはんは小さいお皿になるんです。
この暑いのにソファーに置いていた小さいあったかマットはいらなくなるんです。
家に帰ってきてもるりは玄関に来ないし、夜中に寝苦しくて目覚めると顔の横がふかふかして痒くて枕半分以上占領されてたなんてこともないんです。
パソコンで作業しているとひたすら邪魔されてちょっと誰のために仕事してるんだよって思うこともないんです。
るりがいなくなって、それが当たり前になって、それで普通に生きていける。
そんな自分が嫌なんです。
これでいいのか。おかしくないか。
かといって、私のことを愛してくれたるりが、私が後を追ったり不幸になることを望んではいないことぐらいはわかる。
るりは私を愛してくれた唯一の存在です。
るりが生きているうちにそれに気が付いて、返したかった。
人間って本当にどうしようもないぐらい何十回か死んだ方がいいぐらい愚かなんだと痛感しました。
小さな祭壇を作ってお花を生けてごはんを置いて小さな壺に話しかけて満足してしまう自分が心底嫌になります。
ものすごい悔しさ
ひたすら泣いていた時期を過ぎると少しずつ物を考える余裕が出てくるんでしょうか。
1日の中で激しい感情の波はありますが、だんだん後悔は大きくなります。
私が殺したように感じます。
るりが小さいうちに移植をしていれば。
BUNが振り切れた時点で真剣に焦って調べていれば。
その時点で透析を受けさせていれば。
そのときは気づかなかったけれど、るりの写真や動画を見返していてわかりました。
るりは私のことが大好きで、いつも傍にいたくて、かまってほしかった。
良い医療を受けさせることよりもよっぽど大切なことがあった。
そんなるりを、ちゃんと愛して、傍にいてかまってあげていたら。
4月下旬から今にかけて、私は精神的に大きくやられました。
無気力でどうしようもなく、るりの通院、日々の投薬や注射、自分の仕事をやることで手一杯でるりに構う余裕など全くありませんでした。
私の夫、るりのパパが私たちを捨てて出て行ったからです。
(気が向いたときだけ帰ってきて優しくするので家族写真にも葬儀にも参加しています)
明らかに様子がおかしくどうしようもない私をるりは心配してくれていました。
人の心配できる体でもなかったのに。
無意味に家の中を徘徊する私にずっとくっついて歩き、床で座り込めば寄り添ってくれました。
小さな体でこんな腎臓なのに、大きくて健康な私が心配で心配で仕方なったのです。
手遅れですがこんなにかわいい子はいない、二度と出会えない。
そんなるりをちゃんと愛してあげられなかった。
るりと腎臓を交換したかった。
るりに腎臓をあげたかった。
るりじゃなくて私が死ねば、悲しむ人が少なかった。
これが私の娘かと疑うぐらいできた子でした。
なんで死んじゃうの?なんでるりが?
かかりつけの先生と透析の先生、真逆の方針でしたが2人とも出会えてよかったと思える素晴らしい方でした。
透析の病院から死体のるりと私を家まで運んでくれたタクシーの運転手さんも、先生も友達も親もおばあちゃんも、みんな言うんです。
「なおもるりちゃんもよくがんばった」
「るりちゃんがこんなにがんばれたのは、お母さんのがんばりあってこそですね」
「ママがごめんねなんて言う必要ない」
「こんなに良い医療を受けさせたんだから」
「るりちゃんは幸せだった」
「この子は拾われていなければ生後3か月で亡くなっていた」
全部違う。
拾われていなければという課程はそもそも拾ってしまった以上成り立たないし、良い医療って言ったって間に合ってなかったからるりは死んだ。
1か月早く透析に踏み切っていれば、るりは今頃走り回ってて「ちょっといくらかかったと思ってんのよいい加減にしてくれよ今月の引き落としが」とか言ってたんです。
私が殺した。
「良いお母さん」風に言われるのも嫌なんです。
るりからパパを奪ったのも私です。
それで荒れている私に、パパを返そうとしてくれたるり。
天使を見送って1週間たった今日、私は仕事に戻りました。
外で普通にするのってこんなにつらいのか。
たまに前向きになる
こんなに沈んでるかと思えば、るりのために祭壇を作ったりお花を選んだり、明るい気持ちでやりました。
これから定期的に花屋で切り花を買うのは大変だから、日当たりの悪い小さなベランダで簡単に育てられる花を置いて、るりの祭壇に小さな1輪を絶やさないようにしようと思いました。
日々草とか?ゼラニウムとか?と思っている中ホームセンターで「るりまつり草」っていう字を見て即決しました。
るりのためにせめてできるのは、るりのことを広めて、同じように手遅れで亡くなる子を一人でも減らして、獣医はもう無理でも看護師になったり保護団体で働いたり何かしら関われたらと思ったり、前向きな気持ちになることもあります。
普通に笑ったり飲んだり食べたりもします。
いつも死にたいと思いながら生きていた私が「るりが愛してくれた私」を大切に、ちゃんと生きなきゃと思ったり。
いろんな人の励ましや慰めの言葉は「違う違う」だったけど、出て行った夫が「るりはなおのことが大好きだったんだよ。大好きなママが最後ずっと病院で1日中ついててくれて心強かったと思うよ。るりのためにこんなにがんばれたのはなおだけだ。ありがとう」とこんなときだけ父親面して言ってくれた言葉だけはしっくりきてうれしかったです。
こんな感じで気持ちブレブレで、2週間ぶりぐらいに仕事をして思ったのは、仕事ではなく普通に人と会話をするっていうのが何より辛いと思いました。
悲しむことすらできない。
みんなそっとしておいてほしい。
るりのために、るりまつりに立派な花を咲かせて、ちゃんと生きます。