るりちゃん天使になりました
ここ3か月本当にいろいろあって、久しぶりの更新になりました。
6月17日午前2時ごろ、るりは天使になりました。
2歳7か月でした。
6月10日、先生からあと数日と言われました。
3回目の余命宣告でした。
私は言われ慣れていたのです。
実は普通の人以上に、根拠なく「自分の子が死ぬわけない」という思いがどこかにあったのです。
実際にるりにはその実績が何度もあったから。
6月14日の夕方、るりは明らかにいつもと違う様子で私に話しかけてきました。
なぜかトイレの中でくつろいで、ものすごく機嫌が良さそうに甘えてきて、
だけど甘えながらうなることがありました。
そして一生懸命私に何かを言っていました。
あまりに変なので病院に電話してとりあえず連れていくと、るりは自分から先生の膝に乗って、そのまま30分ぐらいくつろいでいました。
その晩、るりがパッケージになった座れるキャットハウスにこもりながら、喉を鳴らして、私と夫にいろいろ話しかけてきました。
なんとなく最期だろうと思いました。
「るり、大好き、愛してる、ごめんね、うちの子になってくれてありがとう、わかったよ、もういいよ、そんなに言わなくていいよ」と話しました。
それからるりは一切喉をならさなくなりました。
今思えばこのときから意識障害が出始めていたのでしょう。
翌日透析を受けさせるため別の病院へ連れていき入院、翌朝体温が35度まで下がっていると病院から呼び出されて、その日私は朝から晩まで病院でるりの手を握っていました。
いつ亡くなってもおかしくないと理解していましたが、連れて帰ることはせず、いつでも駆け付けられるように病院の近くに泊まりました。
夫は夜勤だったので、私ひとりでした。
るりよりもっと酷い死にかけで復活した子もいるし、これに賭けるしかなかった。
深夜1時45分に病院から電話があって駆け付けると、先生が心臓マッサージをしてくれていました。
書きたいことがたくさんあります。
透析のこと、腎不全のこと、るりのこと、私たち家族のこと。
後悔だらけです。
だけど私を愛してくれたるりの気持ちをちゃんと受け取ってあげよう。
それは私がちゃんと生きて、るりが生きていたことを少しでもいろんな人に知ってもらって、同じように手遅れで亡くなる子を少しでも減らしていくことだと思います。
最後に透析を受けた病院で、いろいろな衝撃を受けました。
知らずに家で看取っていたら、きっとやれるだけのことはやったと思って、ここまで辛くなかったかもしれません。
腎不全について人より詳しいと思っていた自分の勉強不足に気が付くことなんてなかった。
知らない方が楽だったことを最後に知りました。
るりがそうさせたのなら、これを広めるしか私にできることはありません。
これからいろいろ書いていきます。